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国際色豊かなベルリン
2013年04月11日
こんにちは☆
松浦です。
昨日無事ひとつ大きな用事が終わり♫
新たな日々の幕開けに今日はキラキラしています。。。。
そんなわけで今日は平日ですが
朝からのんびりお茶ができる時間があり
幸せです。
昨日の夜にはアンティークショップから
素敵な茶色の古書も届きましたので
この後早速登録いたしますね
ところで、ちょうど今来ているカフェ
とってもインターナショナルな雰囲気です。
ドイツ人よりも
明らかにイギリス人が多く、みんなロンドンから来ているのか
格好良いアクセントが聞こえます。
その他今ドイツで就職活動中のスペイン人もたくさんいるので
スペイン語も飛び交っています。
(フランス人は滅多に見かけません。)
ロンドンに住んだ間には
ドイツ人にそんなに出逢った記憶がありませんが
ベルリンにはイギリス人がたくさんいるようです。
私の住むベルリン西側のCharlottenburg
シャルロッテンブルグという街
ここは実は
戦後からしばらくイギリスの占領地域でした。
よくリクエストいただくお品にドイツの
DDR雑貨があるのですが
当時ドイツが
そのDDRとBRDだった時代(1949年〜1990年)
↓(拡大)
ベルリンは実は半分ではなく
4分割になっていました!
東はロシア(ソ連)に、
西側は3分割でフランス、イギリス、アメリカの
3国に分けられていたのです。
↓
ベルリンの壁は
ちなみにこの赤い色のソ連側が
必死のパッチでつくって
自由の国に逃げようとした人口を確保したのです。
東側の人々はベルリンの壁を越えて西側に行くのは難しいので
遠回りのハンガリーやオーストリア経由でも
西側に亡命を計りました。
やっぱり
”力ずく”
では問題は解決できないという事ですね...
大人になると、
なぜか北風と太陽のお話の神髄を
忘れてしまうんです。
松浦です。
昨日無事ひとつ大きな用事が終わり♫
新たな日々の幕開けに今日はキラキラしています。。。。
そんなわけで今日は平日ですが
朝からのんびりお茶ができる時間があり
幸せです。
昨日の夜にはアンティークショップから
素敵な茶色の古書も届きましたので
この後早速登録いたしますね
ところで、ちょうど今来ているカフェ
とってもインターナショナルな雰囲気です。
ドイツ人よりも
明らかにイギリス人が多く、みんなロンドンから来ているのか
格好良いアクセントが聞こえます。
その他今ドイツで就職活動中のスペイン人もたくさんいるので
スペイン語も飛び交っています。
(フランス人は滅多に見かけません。)
ロンドンに住んだ間には
ドイツ人にそんなに出逢った記憶がありませんが
ベルリンにはイギリス人がたくさんいるようです。
私の住むベルリン西側のCharlottenburg
シャルロッテンブルグという街
ここは実は
戦後からしばらくイギリスの占領地域でした。
よくリクエストいただくお品にドイツの
DDR雑貨があるのですが
当時ドイツが
そのDDRとBRDだった時代(1949年〜1990年)
↓(拡大)
ベルリンは実は半分ではなく
4分割になっていました!
東はロシア(ソ連)に、
西側は3分割でフランス、イギリス、アメリカの
3国に分けられていたのです。
↓
ベルリンの壁は
ちなみにこの赤い色のソ連側が
必死のパッチでつくって
自由の国に逃げようとした人口を確保したのです。
東側の人々はベルリンの壁を越えて西側に行くのは難しいので
遠回りのハンガリーやオーストリア経由でも
西側に亡命を計りました。
やっぱり
”力ずく”
では問題は解決できないという事ですね...
大人になると、
なぜか北風と太陽のお話の神髄を
忘れてしまうんです。