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本日掲載した典礼書と ついでにマリアの話

2013年09月10日

こんにちは☆

松浦です

本日は、神聖な雰囲気の古いご本を1点登録致しました
こちら、典礼書のようです☆



http://archangel.ocnk.net/product/1366

(下の2冊も近日中に登録いたしますね)

普段取り扱うカトリック関係のご本は
祈祷書や賛美歌の本として出されているものが多いので、
典礼書(Die liturgie)というタイトルでは
初めて掲載するお品です。



1939年代の内容の再版となり、
装飾も少なくとても実用的な印象です。

本書にはキリストや、聖人の絵は含まれないようです。

そこで、代わりに...
日曜日に見てきた絵の1つですが、
このような書籍に関連のある絵(宗教画)を代わりに
1点掲載いたしますね。




これは
”テルヌオーヴァの聖母子”
と名前のついているラファエロの絵で1505年頃描かれた作品です。

(ベルリンにあります!)

もともとは
このシーンのマリアの手は幼いイエスの足の上に
のっていたらしいのですが、
ダビンチの影響によりこのように浮かせた方が一層美しいと考え、
その後この構図となったそうです。

イエスの目線の先に立つもう一人の幼い人は
天使ではありません。

これはイエスが30歳になったとき、
彼に洗礼を捧げる預言者で、
マリアと同じぐらいの重要人物である洗礼者ヨハネで
イエスより半年ほど先に生まれた人物です。

巻物?にかかれた文字は訳すと
Behold, the Lamb of God(見よ、神の子羊よ)

の意味になります。

持っているのも十字架、
イエスが人間の為にわざわざ創られ、
将来この十字架に掛けられて使命を全うする事をこの時すでにほのめかしているように見えます。

この時代の預言者とは、
未来を予想して伝える予言をする人ではなく、
神様(人間や世の中をつくった創造主 イエスの父とされる存在)の言葉を代弁する人物にあたります。

神様の発言を代弁するということは
命がけでありました。

なぜなら、はたから見ればただの人間に過ぎない者でありながら
神にしか判断できない様な事、たいそうな事を公言するのは
神への冒瀆とされ罰せられていたからです。

ですので過去、偉大な預言者であったとされる
旧約聖書に出てくる預言者達もこのヨハネもそんなこんなで
この世での最後は酷い亡くなり方をしています。(殉教)

絵に戻りますが、
”優しい”イメージをもたれるマリアですが、

処女として聖霊からイエスを授かったときから
”私は神のはしため(女奴隷)です”

と、喜びも、我が子が目の前で殺される悲しみも神の思いのままにと全てを受け入れる決意をした
とても純粋な信仰心をもつ精神力の強い女性です。

イエスの処刑にあたっては、
使徒のヨハネ(洗礼者ヨハネとは別)
以外の弟子達がみんな逃げ出してしまいましたが、
鞭に打たれて既に傷だらけで
十字架の上で窒息しつつある苦しむ息子の姿を傍でずっと見守った人物の1人です。

私はマリアの絵が好きですが
その優しい笑みに癒されるというより、

その静かな表情の奥の
”強さ”
神業を持たない人間でありながら
これだけ愛情の象徴になって描かれる女性に

”なんというたくましい人、貴女もすごいですね”

ははぁ... 私もせめて不平不満言わずにがんばらなきゃ〜



と頭が上がらない感じで
眺めてしまうのです。

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