ドイルの日記のご紹介&親切なバラ

こんにちは☆
松浦です。

先日入手したお品の中に
興味深いコレクションがございました。
ドイルの日記という、ミステリアスな古書です。




https://archangel.ocnk.net/product/5503

チャールズ・アルタモント・ドイル(以下ドイル)とは、
イギリスの画家で、シャーロック・ホームズシリーズの著者として有名な
”アーサー・コナン・ドイル”の父親であった人物です。

彼は肖像画家で風刺画家のジョン・ドイルの息子として
芸術的野心を持ちましたが、
兄リチャード・ドイルに比べて父親の才能を受け継がず、公務員になりました。
公務員としての仕事の傍ら、絵画や挿絵の制作を続けたそうです。

1855年、ドイルは大家の娘メアリー・フォーリーと結婚。
7人の子供に恵まれました。
チャールズ・ドイルは芸術家として名を上げようと努力を続けましたが、
職業柄、絵を描くことに多くの時間を投資できず
アーティストとしてのキャリアは進歩しませんでした。
一方で兄弟のリチャードはロンドンで芸術的に大成功を収めていました。

チャールズ・ドイルは次第に鬱病になり、アルコール依存症になっていきました。
https://archangel.ocnk.net/product/5503



https://archangel.ocnk.net/product/5503
1876年には公務員を退職し、同年アルコール依存症者のための特別な診療所である
フォードゥーン・ハウスに入院。
滞在中当時は治療法のなかったてんかんに罹患しました。


https://archangel.ocnk.net/product/5503

チャールズ・ドイルは診療所から脱出しようとすると暴力的になり
その後、モントローズ王立月光病院に収容されました。



そして1892年に絵を描き続けることができるようになるまで滞在しました。
この滞在中、息子アーサー・コナン・ドイルの最初のシャーロック・ホームズの物語
『緋色の研究』のために6枚の絵を手掛けたそうです。
1892年、チャールズ・ドイルはエディンバラの王立診療所に移され、
その後ダンフリースのクリントン王立施設に移されましたが、
1893年に重度のてんかん発作の後に亡くなりました。




https://archangel.ocnk.net/product/5503
浮かばれないアーティスト人生の中で描き続けられたこれらの作品には
妖精や類する幻想的なシーンを描いたものが多く、
時を経て不気味なものへと進化していったとのこと。
孤独と魂の叫びの伝わってくる水彩画集となっております。

さて、
パンデミックの危機、反レイシズム、残虐行為の抗議や暴動、経済的窮困etc.
まぁ、”次から次へとやってくる敵”と皆が銃口を向け合う現代には
ドイルの見ていた世界と重なる部分があるようです。

このご本の中の奇怪なイメージが力強く訴えてくるような気がします。
現代の抱える闇には解毒剤がある...と。

例えば、
それは”思いやりの心”かもしれません。



”思いやり”は先手をうって示すことに意味があります。

なぜなら、
誰かに親切にされるのを待つ方を選べば
その間ずっと犠牲者になってしまうからです。

世界が親切にしてくる日を怯えながら待つよりも
明日どんな親切を施そうかと企てるほうが、
住み良い社会の実現が早まるというわけです。

最後に素敵な景色をひとつ、
近所の中学校の入り口をを彩る、エネルギッシュな薔薇さんです☺️


道ゆく人を毎日笑顔にしてくれてどうもありがとう❤️